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よーじ通信

底辺社内ニートがプログラミングや役に立ちそうなネタを書いています

よーじ通信

ニートやってます

この一週間の徒然を。

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徒然なるニートな日々

先日受けた会社が不採用だったので、またまたハロワに行ってきました。

ブラックアンテナビンビンだけど、条件マッチしている求人の紹介状をもらって、応募したところです。ついでに、職業訓練の説明を聞いてみたりもして。

ちょうどいいタイミングで職業訓練があるので、挑戦しようかなぁとか思ってます。

さて、前回、将来どうなりたいの?と考えよう!と思った僕ですが。

 全然考えられないです。大して生きることに興味がないんですよね、僕。

人生とは、死ぬまでの暇つぶし。故に、どうせ同じ暇つぶしなら楽しく行こうぜ!ってな具合に適当なんです。

仕事もすごい頑張って働こう!なんて思わないし、特に欲しいものもないから購買欲求を満たすためにお金を稼ごう!とも思わない。

実家にいると、お金を払わなくてもご飯が食べられるのでお財布は鞄にしまいっぱなし。

そうなると、今の生活が楽しくて。プラスの刺激はないけど、代わりにマイナスの刺激もない。ストレスフリー!!

プラスの刺激がないから、ブログのネタがないところがネックですけど。

毎日毎日、甥っ子君とどうぶつしょうぎをやっては「ようちゃんよーわーいー!!」となじられています。

 不幸の境界線はどこにあるのか

それでも、僕は結構幸せな状況なんですよね。負け惜しみも入っているし、そう思わなければやっていられないという部分もあれど、それでも衣食住に不自由していなくて、五体満足で、生活に支障があるような障害も抱えていない。

健康かと言われれば、顎関節症が悪化していて顎に違和感があり続けているけど、今すぐ死ぬ訳でもない。発達障害の疑いはあれど自分自身はそこまで困っていない。今までそれなりに生活できていますから。

要するに、ある程度幸せな状況だからこそ、怠惰な生活が送れるわけです。

本当に瀕死状況だったら、MacBookでインターネットを使ってブログなんて書いてない訳ですよ。

借金はあるし、預金通帳に残高はないし、無職だし。結婚はしていないし、恋人も居ない。30歳をすぎて実家暮らし。「普通」で考えればヤバいんだけど、どこに「普通の基準」を持ってくるかで、これが普通かどうかは変わってくる訳です。

置かれた場所で咲くなんてまっぴらごめんだし、ここまでのプロセスが自己責任だなんて反吐が出るし、こんな当たり前の生活で満たされているなんて言えない。

それでも、生きていくことはできる。生きていくことができることと、満たされている生活ができることは全くの別物だ。

唐突なブログ報告

今日で3月我終わる訳ですが、あと196人で月間1万を達成できます。アクセスは順調な時の半分になりました。多分、達成できるとは思います。

4ヶ月頑張るでもなく、何となく記事を書いていても月間1万アクセスには到達するんですね。小額ですがポツポツお金が発生していたりもします。

ちゃんと検索1位になっている記事もあるし、10位以内の記事もいくつかあります。

検索上位の記事はちゃんと書いてるので、ちゃんと書けば検索上位になります。ちゃんと書くってなんだよ、って思うじゃないですか。

記事をちゃんと書くコツは「なんで?」「どうして?」という疑問を持つこと。三歳児か!って言うぐらい、なんで?なんで?なんで?って追求する。そしてそのなんで?の理由を解明して説明する。

それをまとめるだけでも一気に上位になると思う。

 学歴コンプ 学歴コンプレックス 低学歴 Fラン これらのキーワードで上位に表示されるこの記事。

これだけは、その理由がよくわからない(笑)一時期、某まとめ記事よりも上位だったものの、今は2位に転落中です。

いかにもFランである。それでもこの記事が、PVの6割以上を占めている。ということはこのレベルの記事を量産すれば良い。簡単なことです。でも、書くのは簡単じゃないんですよね。からくりは単純だけど、やるのは難し。

これからどうするのか

とりあえず、応募したところの結果を待って、職業訓練に申し込もうと思っています。とにかくその日暮らしができればそれでいいや。

歳を取ったらどうするのか?という不安がないわけではないんですが、そんなに長生きするつもりもないし、たった今それができなくても、10年後にそれができていればいいわです。

今できないのに、10年後できるのか?と突っ込まれそうですが、10年前にできていたことが今に繋がっているかと言えば、全く持って繋がっていないし、絶望の始まりに居た割にはなんとかここまでやってきたんだから、これから先もなんとかなるでしょ、程度にしか思っていません。

何とかならなかったらどうするのか?そんとき何かしらの行動をとればいい。というかそれまでに何かしらの行動をとればいい。四ヶ月前にはブログ書いていなかったわけだから。行動すればなんとかなります。

久しぶりに面接を受けて思ったこと

僕は大学を卒業してから今まで履歴書に書けるもので6社、書けないもの(短期のバイとや派遣)を含めると9つの会社(仕事)を渡り歩いています。

そうなると、一つずつなんで辞めたのか?なんでこの仕事をしたのか?詳細な説明を求められます。

正直、そんなことどうでもよくねぇ?と思ってしまいました。正当な理由がなければ、仕事を辞めてはいけないし、正当な理由がなければ、畑違いの仕事をすることは「おかしい」とみなされるんですよ。そもそも正当な理由って何だよ。

「その仕事をしたのはお金がもらえるからだし、その仕事を辞めたのは、労働対価が見合わないと思ったから」以外の理由が必要なんです。

「働く」ことに意義を求め過ぎなんですよ。全うな労働対価を支払う訳でもないし、法律違反はしているし。なのに、なんであんな偉そうなんでしょうかね。

僕は資本家ではないので、当然労働者になるわけです。資本家が労働者から労働力を買い、その価値を上回る価値を持つ商品を生産することで資本主義は回っています。

資本家からすれば、この労働に対してはこの価値しかないという判断だとしても、そこに余剰価値が発生しないのであれば、それは資本家が無能だということに過ぎないと思います。その仕組みを考えることが労働者の労働力の中に含まれているなら別ですが。

労働者としてみれば、自分の労働力が資本そのものなわけだから、自分の資本の市場価値というものを正当に評価すべきだし、それをやらないのはこれもまた無能であるといえるのではないでしょうかね。

どういう労働があって、どういう成果が欲しくて、それに対してどのくらいの報酬を支払うか、そのためにはどんな環境があり、どのようなシステムで行うのか、それが必要な情報であり、それ以外は「労働契約」には不必要な情報だと、僕は思う。

それなのに、そんな大事なことは全く伝えないのに、どうでも良いことばかりを聞いてくる。まともなお金を支払ってくれさえすれば、必要な労働を提供しますと言っているのに。人の個人情報は包み隠さず出せというのに、相手は手の内を明かさない。

卑怯な売買交渉である。

 僕は、「働く」ということをこの程度にしか考えていないので「やりたいことを仕事にする」とか、「将来の思い描く自分への第一歩」みたいな感覚で仕事をしようと思わないんです。

この仕事は自分の能力でどこまでの成果が出せるのか、その対価は全うなのか。考えるのはそれだけです。

だから仕事なんてどれでもいい。これはおそらく、一種の諦めなんだと思います。

その昔は夢があったし、やりたいこともたくさんありました。仕事を通じて人生を豊かにしたいなんて幻想も抱いていました。

でも、そんなに頑張りたくないし、そんなに努力もしない。それでもそこそこの人生にいることができる。それでいいじゃないか、と。

適当に生きて、適当に楽しいことする余裕があって、適当に欲求を満足させることができる。適当に生きていても。

だったら、これでいっか、そんな感じです。これが向上心がないっていうやつなんでしょうね。

おわり

早く仕事決まるといいな。

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© 2016 よーじ通信