よーじ通信

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人の役に立つ仕事をやりたいって言ってる人に限って役に立たない理由

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例えば僕が、今この瞬間にこの世から消えてしまったとしても、誰も困らないのだ。誰かが悲しむかもしれない。ほんの一瞬は困るかもしれない。けれどそんなことは取るに足らないことで、大抵1週間もすれば、世の中は当たり前に回っていく。

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それでも僕は全ての仕事は人の役に立つと言い続ける

飲食店で働いているときは、直接「ありがとう」と言われたり「美味しかったよ」と言われたりすることで、やりがいを見出すことができる。

しかし、例えばステンレスのコイルを機械で切断している時は、「人の役に立っている」という実感が湧きづらいのかもしれない。

けれど、どんな仕事だって、必ず人の役に立っている。

 

目先だけを見るならば、目の前の人間の役に立て

この作業に何の意味があるのだろう?この作業は世の中の役に立っているのだろうか?この作業で人の役に立っているなんて思えない、そう思うのは、短絡的だ。

そこに仕事が存在しているということは、その仕事をしてほしい人間が存在しているということだ。例え、8時間座り続けて落ちて来るだけのしずくを眺めているような仕事だって、それを必要としている人がいるから仕事として存在しているのだ。

資本主義において、(ブルーカラーの)"仕事"即ち"労働"というのは、何も持たない者が自分の体を使って報酬を得ることだ。つまり、労働が資本なのだ。

この作業をやってほしいと思っている人間がいる。その作業を自分の体(体力・知力)で提供することで、対価として報酬を得る。

スーパーで野菜を買うのと同じ仕組みなのである。

野菜を売りたい人▶︎体力や知力を売りたい労働者

野菜を買いたい人▶︎体力や知力を買いたい雇い主

これが資本主義の基本的な考え方である。

つまり、労働者は労働するだけで、雇い主の役に立っているのだ。

接客業やサービス業のように、末端の役に立たないと役に立ったことにならないという短絡的な発想しかできないのにも関わらず、目の前にいる人間の役に立とうとしないのは、思慮が浅すぎる。

 

社内の人に対して役に立つことは末端のお客様の役に立つことでもある

僕は雇われデザイナーとして、3年以上製造会社に勤めていた経験がある。残念ながら、お客様の声をカタチになどという崇高なデザイナーではなかった。よくて営業が欲しいという商品をカタチにするのが関の山だ。

商品開発だけでなく、販促ツールの作成なども僕らの仕事だった。デザイナーと一言で言えど、商品開発部門と広報部門のデザインは全く畑が違う。キャベツと白菜くらい違う。販促ツールだからそれ自体はお客様が購入するわけでも、お客様が望んでいる訳でもない。営業が必要としているだけだ。商品開発がメインの仕事なのに、広報の仕事をしなければならないのは、目的を見失いそうになる。しかし、営業のために誠心誠意込めて仕事をすることは、お客様の満足へと繋がるのである。そのツールがあれば、お客様が商品を選び易くなるかもしれないし、使用シーンを容易に想像できれば、自分が気がついていない欲求に気がつけるかもしれない。それは、デザイナーの性分としてはとても光栄なことである。

目の前の営業一人満足させられないくせに、何が人の役に立ちたいだ。寝言は寝て言え。

 

人の役に立ちたいんじゃない、自分が満足したいだけだ

自分がその仕事に価値を見出せないだけのことなのに、人の役に立つか立たないかと自己欺瞞にまみれて、この仕事は役に立たないと切り捨てる。

あなたがその仕事がやりたくない、ただそれだけの単純な理由なのにも関わらず、人の役に立たないから自分にとって価値がないと正当化する。

あなたは、労働力を提供する側な訳だから、この労働に労働力を提供できないと思えば、それを選ぶ必要はない。または、提供する労働力に対して労働内容や賃金が不相応ならばその契約を断ればいい。それが資本主義だ。

あなたに毎日毎日、石をただ右から左へと1mほど移動させるという労働があたえられたとしよう。僕なら30分で飽きること間違いなしだ。

しかし「この作業は、この国で初めての道路を作る下準備をしていて、この石をしっかりと取り除かないと道路は正しく完成しないとても重要な仕事です」と言われてこの作業を始めたとしたらどうだろう?

それならやってもいいかな?と思えただろうか。だとしたら、あなたは今やっている仕事に目的意識を持てないだけだ。目的意識がないだけでその仕事の価値は変わる。やりがいなんてそのくらい不確かでかつ曖昧なものだ。やりがいはつくれる。

 

人の役に立つとかやりがいだとか、そんなのまやかしだ

しかし、たとえそれがどんな崇高な理由のある労働だとしても、僕は石を運ぶだけの仕事はやりたくない。

この世の中に、人の役に立たない仕事もやりがいのない仕事もない。

あるのはやりたい仕事とやりたくない仕事だ。 

人の役に立つとか、やりがいだとか、そういうことでごまかさなければその仕事を続けることのできないのは自己欺瞞でしかない。もしあなたがその仕事を「やりたい」と思っているならば、そんな理由を持ち出さなくてとも自然と目的意識も向上心も意欲もでてくるのだ。しかし、やりたくないことを無理矢理続けるから、体のいい言い訳を並べているのだ。そんなの時間の無駄だから、さっさとやめてしまえ。

 

いつまでそんなくだらない言い訳で人生を消耗してるの?

 

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